昨日、この旅の最後の訪問都市ポーランド・ワルシャワに来ました。
ワルシャワには3泊します。
今日は観光1日目です。
これから世界遺産の旧市街に行こうと思います。


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~ポーランド・ワルシャワの苦難~

ワルシャワ旧市街は、今現在は、美しく気品あふれる立派な街並で世界遺産にも登録されるくらいの街並です。
ところが、第二次世界大戦前後には悲惨な出来事が繰り返されてしまいます。
それに関わる歴史的な事象を少しだけ、紹介させてください。

☝赤点線で囲まれているエリアがワルシャワ旧市街です。
ワルシャワ旧市街は、ビスワ川のほとり、中世に築かれた歴史の深い城壁都市です。
ワルシャワ平原の中心部に開けた文化的にも芸術的にも非常に素晴らしい都市だったようです。

ところが、そんな歴史的にも文化的にも伝統あるポーランド・ワルシャワが、とんでもないことになります。

「歴史ワールド」より

1939年、ナチスドイツはポーランドへの東進?東侵?を諮(はか)ります。
同時期、ソ連はポーランドへ西進?西侵?を諮(はか)ります。
独ソの全面戦争は必死の状況です。

「茂木の世界史」より

ところが、2つの国が衝突寸前で「独ソ不可侵(ふかしん)条約」が結ばれます。
独ソがお互いに攻め込まない、侵入し合わないという取り決めです。
ドイツにとってはフランスやイギリスなど西側の国々との戦争拡大のため、東方面はソ連と手を結んだ方が得策と考えたのです。
ソ連にとっては、東側からの日本と西側からのドイツとの挟み撃ちを避けたかったことや戦わずしてポーランドの半分やバルト三国などを支配できるなどメリットがありました。
この独ソ不可侵条約による両国の密約によってポーランドを勝手に分割してしまったのです。
ポーランドという国が、地図上から消えてしまった瞬間です。

以下、独ソそれぞれに分割統治されたポーランドの二次大戦前後の被害の様子を紹介します。

<ソ連占領地域(ポーランド分割東側部分)における被害
知識人や軍将校など反ソ連、反共産とみられるポーランド人が大量に処刑される事件が多発します。
その中で、戦後特に被害数が多いことで有名になるのが「カティンの森事件」です。

Wikipediaより

赤軍というのは、ソ連軍です。
ソ連の支配に異を唱えるポーランドの知識層や軍将校などが捕らえられ大量に処罰、処刑されました。

赤いシェイプの地点が「カティンの森」です。
二次大戦後、この森から大量の遺体が掘り出されました。

Wikipediaより

「カティンの森」では、確認されただけで2万5千人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、公務員、聖職者、教育者などがソ連関係者によって虐殺されたと推測されています。

<ドイツの占領地域(ポーランド西側部分)における被害>
ナチスドイツは、ポーランドの「ドイツ化」を目指しました。
土地を取り上げ住民を追放しました。
特に激しく排斥(はいせき)されたのがユダヤ人(ユダヤ系ポーランド人)です。
当時、ポーランド国内には全人口の約1割、350万人のユダヤ人が住んでいました。
世界の中では最大級のユダヤ人居住国でした。
効率よく大量に殲滅(せんめつ)するために考え出されたのが、アウシュビッツ・ビルケナウなどの大規模な絶滅収容所の建設です。
一方、(非ユダヤ系の)ポーランド人に対しては、身分を農奴(のうど:農地を持たず農作業を強制される奴隷)に落とし込み、ドイツ人入植者に土地をどんどん与える不条理な政策をとり続けました。
ポーランド人も抵抗を示します。
ユダヤ人は虐殺し、(非ユダヤ系の)ポーランド人は、土地を取り上げ農奴に落とすという、ナチスドイツのこのような政策に抵抗する組織がポーランド各地で「蜂起(ほうき)」という形で行動を起こし始めます。
その最大の抵抗活動が「ワルシャワ蜂起」です。

Wikipediaより

「ワルシャワ蜂起」とは、1944年8月、ドイツ占領からの解放を求めてポーランド地下抵抗組織(国内軍)が武装蜂起した抵抗活動のことです。

Wikipediaより

男性ばかりでなく、女性や若者を含む一般市民も積極的に参加してドイツへの抵抗の意志を示しました。

Wikipediaより

63日間に及ぶ蜂起でしたが、武器や物資が圧倒的に不足していたこと、イギリスやアメリカからの支援が遅れたことなどが要因で、ナチスドイツ軍によって武力制圧されてしまいました。
この戦いで、ポーランド市民約20万人が命を落としました。

Wikipediaより

この蜂起に激怒したヒトラーは、ワルシャワの街の徹底的な破壊を命じました。

asahi.comより

ワルシャワは、ナチスドイツに徹底的に破壊されてしまいました。

asahi.comより

破壊されたワルシャワ旧市街です。

culture.plより

現在の「王宮広場周辺」だと思われます。

Look&Learnより

特に当時、最も栄えていたワルシャワ旧市街の大部分が瓦礫(がれき)と化しました。

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<復興へ>

1945年、ドイツなどの同盟国側が相次いで降伏し、二次大戦が終わりました。
ポーランドでは、すぐに復興が始まりました。
「釘一本、ひび一本にいたるまで」
を合言葉に市民の熱意と世界中の支援によりミリ単位での忠実な復興作業が続きました。
新たな支配国ソ連との方針の違いという軋轢(あつれき)を乗り越えながらの復興作業でした。
(ソ連側から全く新しい街づくりの提唱があったとか、、)

様々な困難を乗り越えたこの奇跡的な復興は、
「破壊された歴史都市の復興の模範(もはん)」
として評価され、1980年にユネスコの世界遺産に登録されました。

以上が「ポーランド分割」⇒「ワルシャワ蜂起」⇒「復興」までの概略です。
随分長々と説明的な内容になってしまったことを反省しています。

旅の話に戻ります。


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~今日の観光予定~

こんな負の歴史を背負ったワルシャワ旧市街です。
少しでも、ポーランド人の復興への執念や情熱などを感じ取れるような観光にしたいと思います。
「ワルシャワ旧市街」観光は、下のように計画しました。
①王宮前広場
②王宮
➂ワルシャワ聖ヨハネ大聖堂
④バルバカン(City Wall)
⑤ワルシャワ蜂起記念碑
欲張らずに5つくらいに絞ってのんびり観光したいと思います。
何と言ってもぼくは、ワルシャワ3回目です。
ガツガツしなくても大丈夫です。

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~ワルシャワ旧市街へ~

ぼくの泊っているホテルから旧市街は、とても近いです。
バスでもトラムでも真東に一駅行くと着きます。

まずは、ワルシャワ王宮広場に向かいます。

広場に入るとまず目に入るのが「ジグムント3世の円柱」です。

ジグムント3世さんは、16Cから17Cにかけて活躍したポーランド王です。
スウェーデン王やポーランド・リトアニア連合王国国王なども兼ね、勢力の拡大につとめたポーランドの王様だということです。
一時は、ロシアの動乱に乗じて、モスクワにまで勢力拡大するほどの大きな王国を築き上げた人物だということです。

この一帯が、いわゆる
「釘一本、ひび一本にいたるまで」
を合言葉に市民の熱意で再建を図った旧市街の建築群です。

旧市街の建物を守っているかのような銅像がこちらを向いています。

近くに寄ってみると、「人魚」のようです。
地図アプリで調べてみると、「ワルシャワの人魚像」というのだそうです。
かって、ビスワ川(旧市街のすぐ脇を流れている川)に現れた人魚が強欲な商人に捕らえられた際、地元の漁師に助けられたそうです。
その時、感謝の気持ちとして、
「危機が訪れた時には必ず街を守ります」
と約束したのだそうです。
右手に剣、左手に盾を持っているのは、その気持ちを表しているからだそうです。
ワルシャワ市民にとっては、この人魚は、街を力強く守るシンボルなのだそうです。

ワルシャワ市の紋章☝にこの人魚のマークが採用されていることからも、非常に大事にされていることが分かります。

よく見ると、人魚像の周りには噴水のような水が時折噴き出しているのが見られます。
「人魚」なのだから、水がないと「かわいそう!」というワルシャワ市民の思いやりでしょうか?

王宮前の広場は、隙間なく建物が立ち並んでいますが、よく見ると、その一つ一つが、間口幅や色、窓の形、階数など微妙に異なっていることが分かります。
そのあたりも、ナチスドイツに破壊される前の建物に忠実に再現されているのだそうです。

ブリュッセルのグランパレスのような煌(きら)びやかな派手さや豪華さはありませんが、ポーランドらしい質実剛健さが表れている広場だと思います。

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~ワルシャワ王宮へ~

左側に見えるピンクを混ぜたような臙脂(えんじ)色の建物が王宮です。

左側に王宮の入口があります。
入ってみようと思います。

直射日光がもろに当たる条件の悪い時間帯ですが、結構、観光客がいます。

名前は「ワルシャワ王宮」ですが、ポーランドは現在王国ではないので国王は存在していません。
だから、正確には、「元王宮」といった方が正しいのでしょうね。
国王が存在していた頃は、国王の住まいや議会として使用されていたそうです。
この「元王宮」も二次大戦時、ほぼ完全に破壊されてしまいました。
戦後、1970年代から80年代にかけて徹底的に復元され、現在では、博物館として使用されているということです。

次は、聖ヨハネ大聖堂に行きたいと思います。


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~聖ヨハネ大聖堂へ~

ワルシャワ王宮から少し北西に進むと、「聖ヨハネ大聖堂」があるようです。

この石畳も一つ一つ復元したのでしょうか?
もしそうだとしたら、とんでもなく細かで精密な作業ですよね。

出入口の三角屋根が特徴の教会のようです。

見た目は別の建物のようですが、右も左も同じ「ワルシャワ聖ヨハネ大聖堂」です。

このような、平面的な三角屋根の教会は珍しいと思います。
ぼくの知る限りではマカオの「聖ポール天主堂跡」くらいのような気がします。

無料で入館できます。
主祭壇も一風変わっています。
日本語の「壇」は、ひな壇のように段が徐々に高くなっていくイメージです。
今まで世界各地で見てきた主祭壇も「祭壇」らしきものが確かにありました。
でも、この主祭壇には、その祭壇らしきものがないのです。
一風変わったことが多そうな教会です。

その他、内部の詳しい様子は、次回に譲ることにします。

(第27話、終わりです)

(第28話は、「大聖堂からバルバカンへです)

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宮田 彰(あきら) 1961年新潟県上越市生まれ 新潟県内公立小学校教員を33年間勤める 2015年から中国上海のアメリカンスクールにて教員 2021年退職 2022年「あきらのふらブラ旅ブログ」開設 現在上越市在住

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