エストニアの首都タリンに来ています。
旧市街(=世界遺産)の観光を楽しんでいます。
いろいろ歩き回り、初日の最後の観光予定地である「KGB囚人収容所」に来たところです。


<広告です>

途上国の子どもたちの1対1の支援プログラム
1日あたり150円の支援で「希望」を

~「KGB囚人収容所」入館!~

10€を払って「KGB囚人収容所」に入館しました。

☝入ってすぐの案内板です。

☝右側の英語バージョンの拡大です。

☝翻訳アプリカメラを当てました。

この施設の最大の特徴は、裁判前の人々を拘束する拘置所(こうちしょ)がルーツだということです。
そして、それが転じて、エストニアKGB本部になったことです。
拘置所がいつの間にか投獄、尋問、拷問、殺害の場になっていったということです。

<広告です>

電気代高騰による影響を軽減【ソーラーパネル】

~KGBの恐ろしさ~

この案内文の通り、拷問を受けたり殺害されたりした方々の苦しみや無念さに少しでも迫れたらと思います。
少し、堅い話になりますが、KGBの本質を知るうえで重要だと思いますので、しばらくお付き合いください。

民主国家、法治国家の条件として、
①憲法を柱とした法体系がきちんと存在し、民主的に機能している
②法律を犯した人間や組織を逮捕拘留(こうりゅう)する警察などの組織が存在し、民主的に機能している
➂逮捕拘留した人間や組織を明確な証拠や証言の裏付けにより起訴する検察などの組織が存在し、民主的に機能している
④起訴された人間や組織を法に照らし裁く裁判所などの組織が存在し、民主的に機能している
⑤裁判により有罪になった人間を制裁(せいさい)し、刑罰を執行する刑務所が存在し、社会的制裁の場、犯罪抑止(よくし)の場として機能している

以上5点が、最低限の条件だと言われています。

KGBの恐ろしい所は、
・①~⑤の手順は全く無視し、
・時の権力者の意向(ソ連共産党の独裁体制の維持)により、
・法的な根拠も証拠もなく、
・逮捕拘留され、投獄(とうごく)され、拷問(ごうもん)を受け、罰せられ、生命が危険にさらされることです。
それが、KGBです。
KGBは、ご存知の通り、合法的な仮面を被(かぶ)った非合法の組織ですからね。

KGBの得意な手法として、
A:密告や盗聴・盗撮、偵察・監視・尾行のみの情報で逮捕拘留する
(家族や血縁者の密告を奨励)
B:拷問などの自白により罪をでっちあげる
(拷問に耐えきれず嘘の自白が横行)
C:裁判などを受けずに罰が下される
(主な罰は、監禁拷問による思想改造、シベリア強制労働、死刑など)
D:逮捕拘留された人の家族や血縁者、親戚までもが捕まり罰を受ける
(罪をとめられなかった、罪を見過ごした、本人をそのように育てた、という理由で本人以外を平気で罰する)

想像するだけで恐ろしい社会です。
この「KGB囚人収容所」は、エストニアKGBの本部として、エストニアエリアを中心に逮捕拘留、拷問、自白、流刑を執行する施設として使用されていたようです。

ちなみに、プーチンがKGBに所属していたことは有名ですよね。
プーチンは、1975年に大学卒業と同時にKGBに入ります。
数年後、ソ連の衛星国家の一つであった東ドイツに派遣されます。
東ドイツには、KGBの東ドイツ版と言われる「シュタージ」があります。

ソ連の衛星国家には、KGBと同じような組織がそれぞれ存在していたようです。
・東ドイツ:シュタージ
・ポーランド:内務省安全保障局(SB)
・ルーマニア:セクリターテ
・チェコスロバキア:国家保安部(StB)
など、旧東欧の国々には必置の組織でした。

プーチンは、その「シュタージ」と連携して、東ドイツでスパイ活動や秘密警察活動を展開していたようです。
特に、西側諸国(資本主義諸国)と交流する人物や組織に対して徹底的に潰(つぶ)しにかかっていたようです。
しかし、1989年、東欧革命とベルリンの壁崩壊を目の前で体験することになります。
ソ連の影響力低下と崩壊を目(ま)の当たりにすることで、今のプーチンの「強いロシア」を標榜(ひょうぼう)するようになったと言われています。

<広告です>

リゾートバイトで出会いもお金も思い出もゲット!【リゾバ.com】

~施設の実際~

長々と固い話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
旅の話に戻します。

それでは、収容所の内部の紹介をします。

暗がりを進むと1つしかない狭い扉があります。

その扉を開けると、向こうは長い廊下になっています。

片側が、パネルでもう一方に6つの小さな部屋があります。

たくさんのパネルは、歴史的な事象が年表のようになっています。

~独房・資料室の様子~

横並びの6つの小さな部屋の手前から入って行きます。
逮捕拘留後に入れられる「独房」だと思います。

☝次の部屋です。
6つの独房のうちの一つが、今では、資料保管の部屋として使われています。
ソ連崩壊後、KGBの職員が罪から逃れるため、慌(あわ)てて逃げ去ったということです。
焼却・爆破などの処理をすることがKGB内規で決まっていたという話ですが、意図的なのか本当に慌てていたのか定かではありませんが、機材や書類がそのまま残されていたということです。
お陰で、逮捕拘留者の情報やKGBの諸所業、当時の政治情勢などが今日に伝えられています。
よく残ったものだし、よく保管されていたものだと、感心します。

壁には3枚のパネルが掲げられています。
☝3枚のうちの一番奥の写真です。

☝翻訳アプリを当てた写真です。
左半分がエストニア語、右半分が英語です。
大体、同じように翻訳されていると思います。

アギーダ(写真の女性)さんは、反ソ連の活動をした罪で「マガンダ州」にある錫(すず)鉱山への強制労働10年の刑を受けます。

マガダン州を調べてみました。
シベリアというより、むしろ「極東(きょくとう)」です。

日本的に言う「島流し」なんて言うレベルではありません。
ユーラシア大陸の端から端までの強制移住、強制収容、強制労働です。
マガダン州は、北海道のはるか北方に位置しているので当然、極寒地帯です。
元?嵐の二宮和也さんと北川景子さんの主演で有名になった映画「ラーゲリより愛を込めて」の舞台が、まさにここ「マガダン州」だったと思います。
ぼくも映画を見ましたが、マガダン州の冬はマイナス40℃にもなる極寒の地です。
二宮さんが演じた「山本さん」は満州で捕らえられ、マガダンの強制収容所に収監されますが、アギーダさんは、エストニアからの強制収容です。
それも、15歳の少女です。
極寒の地で15歳の少女が錫(すず)鉱山で強制労働をさせられる、、
どれほど過酷だったのか、、
想像を絶します。

悲劇は、本人だけに留(とど)まりません。
☝右端のパネルです。

アギーダさんの姉ダグマーさんと娘メリケちゃん

アギーダさんの姉もその夫もシベリアへの強制労働の罰を受けることになります。
さらに、母方の祖母までもシベリア送りになってしまいます。
祖母のヘレンさんは、シベリアに着く途中に亡くなったということも記されています。
一つ救いがあるとするならば、お姉さん夫婦に娘さんが誕生したことでしょうか。

ダグマーさんの夫・ヴァンボラさんと娘メリケちゃん

二人の写真は、何となく幸せそうに写っていますが、なぜ3人の写真じゃないのか、気になりませんか?
右側の写真に夫のヴァンボラさんが写っていないのが気がかりです。

☝真ん中のパネルです。
悲劇は、まだあります。
アギーダさんの母親も罰を受けることになります。

アギーダさんの母親・タチアナさんは、「反ソ連的な娘」を育てた罪で3年間の刑務所暮らしと2年間の国外退去?流刑?の罰を受けます。
(もちろん、この場合の国外とはエストニア国外という意味だと思います)
家族や血縁者、親類にまで罰が及ぶ不条理極まりない措置です。
これは極一例だということです。
このような残酷な事例は、エストニア内に限っても数えきれないくらいあったそうです。

こんな残虐で無慈悲なソ連に支配されていることは、本当に不条理で辛かったことだと思います。


<広告です>

話題の車中泊グッズなら車中泊専門店におまかせ!

~その他の独房の様子~

この独房には、簡易的な木製ベッドがあります。
最も生活環境のいい部屋だと思います。

奥に目をやると、プロジェクターで動画が流されています。
収監されていた方が当時の様子を生々しく語っています。

エストニア語で語られていたので、聞いても理解できませんでした。
でも、英語の字幕が出ていたので、概略は辛うじて理解できました。

寝る時の苦労や粗末な食事などについて辛かったことを回想しています。

険しい表情からも当時の厳しい独房生活やソ連の抑圧体制が想像できます。

☝次の独房です。
当時の反体制派(反ソ連、反共産活動)のリーダーだったペカスさんとニクラスさんが収監された独房であるという案内があります。
KGBは、彼らに対して、謂(いわ)れのない誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)をし、この独房に投獄し拷問を繰り返したそうです。
反体制派のリーダーには、過敏なまでに反応していたようです。
「人気者は消される」というのが、当時の闇の掟(やみのおきて)だったようです。

<広告です>

電気代高騰による影響を軽減【ソーラーパネル】

~拷問椅子のある独房~

次の独房に入ると、特殊な形をした椅子が置いてありました。

寛(くつろ)ぐための椅子ではないことは、容易に想像できます。

☝説明書きです。

実際に使われたものではないと書かれています。
でも、これに似たような椅子がここでも使用されたと書いてあります。

この椅子に手足を縛られ、何時間も自由を奪われたのですね。

実際の座り心地を確かめるために座ってみました。
手足を縛られていないし、長時間身動きできない状態ではないので、「苦痛さ」は、体験できませんでしたが、、

最後の独房の様子です。

ここで亡くなられた方々の写真と経歴がモニターに映し出されています。
どんな思いで、ここでの投獄・監禁・尋問・拷問を受けていたのでしょうか?
「悔しさ」「無念さ」「不条理さ」など、体の痛み以上に精神的な苦痛が大きかったのではないのかなと想像します。

<広告です>

【Trip.com】で予約

~独房よりさらに狭いスペースが、、~

年表のパネルの切れた廊下の端まで来ました。

廊下の端に独房ではない?本当の独房?スペースがあることが分かりました。

何か説明書きがあります。

ぼくが独房と勝手に思い込んでいた6つの部屋は、確かに独房でしたが、説明によると「共同独房」のようです。
確かに一人で過ごすには広いような印象を受けました。

これが、最も面積、体積が少ない独房のようです。
扉の先端の部分には奥行きがありません。
要するに三角形の空間です。

座る場所もありません。

試しに入ってみました。
一人が立つと、他に入る隙間(すきま)はありません。
もちろん、扉を閉められると、座ることもできません。
扉が開くまで、ただひたすら狭い空間で立っているだけです。
肉体的というより精神的にやられてしまいそうです。

その独房の近くにもう一つの独房を発見しました。

最初に発見した三角形の独房より奥行きがあり、座る場所もあります。
さっきの独房よりもいくらか苦痛の程度は少ないような気がします。

こちらにも試しに入って座ってみましたが、座れるスペースがある分、少しは楽です。
でも、扉を閉められた時のことを想像すると、大差はないような気もします。
精神的には、こちらもかなりきついと思います。

トイレに行くだけの扉かと思いましたが、こちらの扉の向こうにも何かがあります。

地下に掘られた空間です。
今は危険性があるので進入禁止になっています。
おそらく、収容人数が多くなり過ぎて、地下を掘らせて囚人を無理やり押し込んだのだと思います。

最初に見た、6部屋が最上級の部屋だったなんて、、
ショッキングです。

<広告です>

QRコードを読むだけ!海外データeSIM【旅ともモバイル】

~出口にて~

出口付近に、ノートのようなものがありました。
開くと、各国からの来館者が、感想や抗議や連帯の気持ちを記していました。

ぼくももちろん書きました。
「自由」の重要性をしみじみと感じたことを素直に書きました。

二度とこのような施設が使われることがないように、心からお祈りします。

狭い施設ですが、次から次へと来館者が来ます。
皆さん興味があるのでしょうね。
それから、来館者の表情を窺(うかが)うと、物見遊山(ものみゆさん)ではないことがよく分かります。
どの方も、引き締まったきりりとした表情です。
笑顔や談笑などはありません。
「忘れてはいけない!」
「繰り返してはいけない!」
という決意のようなものが感じられます。

改めて、建築物を眺めてみましたが、何の変哲もない建物です。
このような普通の建物の中で、あんな残酷なことが行われていたなんて、、
背筋が凍るような恐怖感を感じてしまいます。

~聖オレフ教会へ~

どんよりとした雰囲気の中で結構長い時間過ごしたので、精神的に少し疲れた感じがします。

地図を見ると「KGB囚人収容所」のすぐ近くに「聖オレフ教会」があります。

ぼくの泊っているホテルの部屋から尖塔だけ見えるあの教会です。

間違いありません。
あの教会です。
尖塔の形と色に見間違いはありません。

ホテルからあんなに高く見えるのだから、実際は物凄く高い教会だと思います。
でも、近寄り過ぎると、高さがよく分からなくなります。
何はともあれ、疲れているので礼拝堂で少し休みたいです。

「やったー!タダだ」
「やったー!誰もいない」
観光客のくせに誰もいなくて喜ぶのは何だか変な感じです。
でも、ゆっくりのんびり礼拝堂で座って過ごしたかったので、本当にうれしかったです。

静寂で涼しい中、のんびりゆったり過ごさせてもらいました。
(もしかしたら、居眠りしたかもしれません)

素晴らしい、教会なのに休憩所に使ってすいませんでした。

~ヴィル門へ~

礼拝堂でゆったり休養をとったら、再び、歩く意欲が湧いてきました。

旧市街南東の門まで歩いて見ようと思います。
南東の角の門は、「ヴィル門」という名前です。
「ヴィル門」から出れば、帰りはスーパーに寄って、徒歩でホテルに帰ることができそうです。

こんなルートで歩いていこうと思います。

「聖オレフ教会」が、段々遠ざかっていきます。

途中、ふらふら、ブラブラ、写真を撮りながら歩きます。

旧市街の外壁に沿って歩きます。

この城壁の上は、歩けるそうです。
見上げると、時折、歩いている人が顔を出します。

明日の観光は、この城壁歩きを是非入れたいと思います。

城壁のすぐ脇の小径もなかなか風情があります。

かなり長い城壁ウォーキングが出来そうです。

もうそろそろ、ヴィル門かなという時です。
いきなり目の前に、人間のように足を組んでベンチに座っている豚?牛?が現れました。

このお店は、ステーキハウスだから、牛のような気がしますが、、
牛のような豚のような銅像の向こうに見えるのは、もしかして、目指したヴィル門ですか?

~「ヴィル門」から旧市街の外へ~

やはり「ヴィル門」でした。

ムーミンハウスのような特徴的な三角丸屋根、間違いなく「ヴィル門」です。
角の取れた(経年劣化した)煉瓦(れんが)が歴史の長さを感じます。

この古い門を馬車が通ると、何だかタイムスリップしたような感じです。

馬車は、門を通り過ぎていくのかと思いましたが、門のど真ん中で、堂々と駐車?駐馬車?してしまいました。

馬車の運転手たちは、門の真ん中でお客さんを探しているようです。
「乗らないか?」
と、ぼくも声をかけられましたが、
「もう観光は終わったよ。
ホテルに帰るよ」
と断りました。

若い女性にも声をかけているようです。
門のど真ん中で客引きをするのは、ナイスアイディアかもしれませんね。
必ずみんな、脇を通りますからね。

ヴィル門の脇には車いすの方が通るような小さなくぐり門もあります。
こちらは、限られた人しか通行していません。

門の外には、出店がたくさんありますが、そのほとんどが、花屋さんのようです。
タリン市民は、花をよく買うのでしょうか?

出店の脇のベンチには、編み物をしながら、自作の毛糸の靴下や手袋を売るご婦人がいます。
何だか、ほのぼのとする光景です。

今日の観光は、大満足です。
心残りはありません。
あとは、スーパーに寄ってからホテルに帰るだけです。

(第7話、終わりです)

(第8話は、「観光最終日は、最も美しい通りへです)

「あきらのふらブラ旅」メニューページへ

<広告です>


ネット松陰塾の学習システムは、単元を細かくレベル分けし、
類題を多数収録しています。問題はレベル毎にランダムに出題される
ので、あやふやな記憶のままでは先へ進めません。小1〜中3までの
主要5教科が収録されているので、学年にとらわれずに学習できます。
学力の悩みだけでなく
 ・近くに塾がない
 ・塾に通わせたいけれど、送り迎えが難しい
 ・習い事や部活動で塾に通う時間がない
 ・お子様が不登校気味で、塾に通えるか不安
・国外在住だが日本の教育も受けさせたい
ぜひともネット松陰塾で学びましょう!
【ネット松陰塾】

<広告です>

海外旅行に「TRAVeSIM」という新提案!
海外旅行での通信手段をお探しの方向けにオススメのサービス「TRAVeSIM(トラベシム)」!
SIMカードの抜き差し不要、QRコードを読み込むだけで、海外データ通信環境が普段使いのスマホで利用できる優れもの!
お申込みから受け取りまでオンラインで完結するので、わざわざ最寄りの店舗に足を運ぶ必要もありません。
日本はもちろん、世界140の国と地域でご利用いただけます。
海外旅行・主張の通信手段として、ご利用してみてはいかがでしょうか?
▽▲▽▲▽ご提供プラン▽▲▽▲▽
【ASIAプラン】
SIMタイプ:eSIM
インターネット容量:6GB※超過後は低速で使い放題
利用可能期間:8日間(192時間)
対象国・地域数:30の国と地域
販売価格:1,980円
【GLOBALプラン】
SIMタイプ:eSIM
インターネット容量:6GB※超過後は低速で使い放題
利用可能期間:15日間(360時間)
対象国・地域数:140の国と地域
販売価格:3,980円
▽▲▽▲▽詳細はコチラ▲▽▲▽
世界140の国と地域で使える【TRAVeSIM】
投稿者
アバター画像

akira-furabura

宮田 彰(あきら) 1961年新潟県上越市生まれ 新潟県内公立小学校教員を33年間勤める 2015年から中国上海のアメリカンスクールにて教員 2021年退職 2022年「あきらのふらブラ旅ブログ」開設 現在上越市在住

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)