シリーズ22の2:「欧州一筆書きの旅D2~北国一人旅~」
<オランダ・ドイツ・デンマーク編>NO3
DAY9:2025年8月16日(土)③
オランダの首都アムステルダムを日帰り観光で来ています。

「ダム広場」や「王宮」「アンネの銅像」を見た後、「アンネの家」に到着しました。
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~アンネの家到着!~

アンネの家を上空から見るとこんな感じです。

「アンネの家」の入口前には、かなりの人だかりです。
でもよく見ると、人々は列を作っていません。
それから一定方向を向いていません。
普通、入場待ちや順番待ちの時は、列を作り一定方向を向いているものですが、、
入って左側にチケット売り場が、その右側に館内への入口ゲートがあるようです。
チケット売り場に向かってきちんと並んでいない所を見ると、何か不自然な感じがします。
入口ゲートにも次から次へとお客さんを入れている様子がありません。
そんな状況にも何か嫌な予感がします。
様子を窺(うかが)うために、アンネの家の周辺を回ってみることにします。

☝アンネさんが、約2年間、隠れ家として過ごすことになった家のようです。

☝アンネの家の入口です。

☝全体的には古い建物ですが、入口周辺は近代的な造りに造り替えてあるようです。

☝中の様子がガラス越しに少しだけ窺(うかが)い見えます。
アンネさんやアンネ一家が辿(たど)ってきた国や地域、場所が分かるように地図で示してあるようです。
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~アンネ・フランクさんの生涯~
ご存知の方も大勢いると思いますが、少しだけアンネさんの生涯をおさらいさせてください。
<アンネの生涯>
・1929年6月12日:アンネさんは、ユダヤ人としてドイツのフランクフルトに生を受けました。
・1933年:ヒトラー政権が成立し、ドイツでユダヤ人迫害が強まりました。
・1934年:アンネ一家は迫害を逃れ、アムステルダムに移住しました。
・1940年5月:ナチスドイツがオランダを占領しオランダでもユダヤ人迫害が始まりました。
・1942年7月6日:姉マルゴットさんに召集令状が届きました。
そのことに危機感を持ったアンネ一家は、父オットー氏の会社の裏にある「隠れ家」で潜伏(せんぷく)生活を始めました。
・1942年7月12日:アンネさんは、13才の誕生日に贈られた日記帳に日々の出来事を書き始めます。
(これが「アンネの日記」の始まりです)
・1944年8月4日:隠れ家がナチスドイツに発見され、全員逮捕されてしまいます。

・1944年8月~9月:オランダ国内にあるベステルボルグ通過収容所へ移送されます。


・1944年10月下旬:アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅強制収容所へ移送されます。

アンネの墓碑があります
・1944年10月下旬~11月上旬:ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送されます。
・1945年2月~3月:ベルゲン・ベルゼン強制収容所で15才の生涯を閉じます。
死因は、結核とも発疹チフスとも栄養不足とも言われていますが、確定はできないようです。
・1945年5月:ドイツの降伏により二次大戦(欧州)が終わります。
連合国により各地の強制収容所の収容者が解放されます。
フランク家の唯一の生存者である父オットー氏が帰還します。

・1947年:オットーさんが「アンネの日記」を出版します。
その後、世界中で翻訳(ほんやく)され、反ホロコーストの象徴(しょうちょう)になっていきます。
<アンネの生涯地図>

➊青矢印:ドイツ・フランクフルト(出生地)
➋ピンク矢印:オランダ・アムステルダム(移住地・隠れ家)
➌黒色矢印:オランダ・ベステルボルグ通過収容所
➍水色矢印:ポーランド・アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅強制収容所
➎紫色矢印:ドイツ・ベルゲンベルゼン強制収容所(死亡地)
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~ショック!入館できない!~

そろそろ入りたいと思い、入口に目をやると、人々のかたまりは、入口方面には全く見当たりません。

階段の上に何かが書かれたボードが設置してあります。
さらに、お客さんが中に入らないように、スタッフが立っているではありませんか。
ぼくは、今起こっている状況を確かめようとスタッフに、
「なぜ、中に入れないのですか?」
と、質問しました。
男性スタッフは、
「すでに、今日の予約の人数が一杯になっている。
だから、入場券は買えないし、新しい入場者は受け付けないよ。
入りたい場合は、明日以降になるよ。
事前にチケットを予約しないと、この時期はとても入れないよ」
と説明してくれました。
ぼくの悪い予感は、見事に当たってしまいました。
ぼくの落胆(らくたん)はかなりのものです。
諦(あきら)めきれないぼくは、そのスタッフに、
「ぼくは、アンネに会うために、遠く日本からやって来ました。
日帰り観光なので、今日しかアムステルダムにはいられません。
どうしても入りたいです。
何とか、入れてもらえませんか?」
とダメもとでお願いをしてみました。
そのスタッフは、一瞬、困った表情をしましたが、しばらく無線で誰かと話をしてから、
「ここで、しばらく待っていて」
とぼくに言い残して館内に入って行きました。
5分くらい待っていると、彼が、
「話は全てつけておいたよ。
中に入って入館料を支払えば、アンネの家に入れるよ!」
というではありませんか。
ぼくは、飛び上がるほど喜んで、彼に何度も何度もお礼を言いました。
彼は、
「オランダと日本は、古い友だちだ。
ぼくに出来ることをしただけだよ。
さあ、入って!
十分に見ていってほしい」
と、笑顔で見送ってくれました。
こんな時、発展途上の国なら「袖(そで)の下(賄賂:わいろ)」を要求されることがほとんどです。
今回ももしかしたらと思いましたが、全くそんな素振りも気配もありません。
さすが、先進国オランダです。
100%善意で入れてくれたようです。
オランダの印象は爆上がりです。
オランダ人は、日本人を今でも「古い友人」として扱って優遇(ゆうぐう)してくれたのです。
断言はできませんが、「古い友人」とは、おそらく江戸時代のオランダと江戸幕府の貿易のことを指しているのだと思います。
ぼくは、優遇してくれた男性スタッフにも心から感謝しましたが、鎖国下の江戸時代、オランダを貿易国に選んでくれた徳川家康や家康と仲が良かったオランダ人三浦按針(みうらあんじん=ウイリアム・アダムス)さんにまで心の中で手を合わせました。

ということで、スタッフの善意に恵まれて、「アンネの家」に入れることになりました。
入館料は16€(約2700円)です。
レシートには、入場時刻が印字されています。
現在すでに11時38分です。
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~アンネの家入館~
男性スタッフがきちんと話をつけてくれたおかげで、中に入ってからもスムーズに流れに乗ることができました。

近代的に改装されたスペースはここまでのようです。

外を眺めると、入れなかった人かもしれませんが、運河沿いに屯(たむろ)している姿が大勢見られます。

アンネ家族は、この書棚を隠し扉にして出入りしていたそうです。
ここまでは、写真撮影可能エリアでしたが、ぼくが入った時には、書棚はすでに開いていたので、NEWTさんから写真をお借りしました。

隠し扉から中に入ります。
説明では、アンネさんが住んでいた当時とそれほど変わっていないということです。
確かに、目の前の階段も木製の框(かまち)が、かなりすり減り年代を感じるものでした。
この扉の向こうからは、写真撮影禁止なので、部屋の様子などは撮影できません。
なので、この先は、ポスターなどの図を使って紹介したいと思います。

アンネの家を模型にした断面図がポスター化されています。
向かって左側が通りに面している部分です。
要するに、左半分が会社の事務所です。
右側の地下と1階を除く2,3階+屋根裏部屋がアンネ一家の「隠れ家」と言われている部分です。
秘密の入口さえバレなければ、右半分の存在に気付かれることはないという構造です。


右側を拡大した図が2枚あります。
ぼくは、今まさに、「秘密の入口」➊から入ろうとしているところです。
アンネさん姉妹は➍の部屋で寝起きしていました。

アンネ姉妹の部屋だった跡です。
何もない状態だからだと思いますが、極端に狭いという印象ではありません。
でも、ここにベッドなどの家具や生活用品が入るとなるとやはり狭いと思います。
それに、自由に外出したりできなかったことを考えると、やはり、この空間だけの生活は過酷(かこく)と言わざるを得ません。
壁面には、切り抜きやポスターなどが貼ってあります。
アンネさんたちの当時の生活や心情などが窺い知れます。

出口近くに置いてある日記帳です。
もちろん何が書いてあるかは、読み取ることはできませんが、
「これが、あの『アンネの日記』のもとになった、アンネさんの本物の日記なんだ」
と思ったら、何だか胸に迫るものがありました。
もともと、狭い空間なので、見学はあっという間に終わりました。
時間にして約1時間30分くらいですが、アンネさんが実際に生活していた空間にお邪魔することができて感無量です。

出口は、入口とは違う運河に面した方角でした。
運河は、80数年前と変わらず何事もなかったかのように滔々(とうとう)と流れているようです。
アンネさんは、このアムステルダムで逮捕された後、3つの収容所に送られ、約10か月のさらなる過酷で非人道的な収容所生活を強(し)いられます。
そして、15年というあまりにも短い人生を閉じることになります。
ここでの隠れ家生活も過酷だったかもしれませんが、家族と一緒に暮らせた最後の2年間ということを考えると、もしかしたら、アンネさんにとって人生最後の「安らぎの棲み処(すみか)」だったのかもしれませんね。
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~感謝の気持ちを再度、、~
ぼくは、得難い体験をさせてもらった感謝の気持ちを表そうと、再度、入口に向かいました。

ところが、ぼくが入館できるように力を尽くしてくれたスタッフの男性は見当たりません。
別のスタッフに聞くと、
「今日は午前中だけの勤務だよ。
だから、もう帰ったよ」
とのことでした。
ぼくは、がっかりして、その男性スタッフに
「日本人の宮田が、
『あなたにすごく感謝している』
ということを伝えてください」
とお願いしました。
そのスタッフは、満面の笑顔で
「OK!伝えるよ!
役に立てて彼もきっと喜んでいるよ」
と言ってくれました。
彼らにとっては、ちょっとしたことなのかもしれませんが、ぼくにとっては重大な出来事です。
再び、この地を訪れることは、なかなか難しいですからね。

最後にもう一度、アンネさんの銅像に手を合わせて、この地を去ることにしました。
さて、現在の時刻は13時15分です。
帰りの列車は、15時26分です。
あと、2時間ちょっとしかありません。
行きたかったもう一つの「風車」には行けるのでしょうか?
(第3話、終わりです)
(第4話は、「風車村断念!?」です)
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